冬虫夏草というものを知ったのは、白土三平さんの漫画。不老不死シリーズの作品で、子供が探してるうち、死んでしまい、巨大な冬虫夏草になってるという衝撃のラストシーン。
私も、ペンギン漫画で描いたことがある。米沢の山中でも、採れるらしく、親戚が、清水大典さんと山歩きして採ったらしい。
それにしても、こんな巨人が、私の18年の米沢時代に暮らしていたなんて、不思議な気持ちになる。
2015/09/30
清水大典!。冬虫夏草。
地中の虫に寄生して発生するキノコ。その世界的な研究家、清水大典氏は米沢に40年ほど暮らし研究し、細密画を大量に残した。
その絵を見たことなかった私。初めて展覧会を見た。
小野川温泉の近く、三沢の昆虫館。
中にはいって、驚いた。なんという技術。すさまじい画力!。
打ちのめされた。参った。結局、2日間、見に行った。11月まで展示してあります。
2015/09/23
安保由夫さん
初めて唐十郎の芝居見たとき、録音した。腰巻きおぼろ妖鯨編、上野忍ばず池のへりに建った紅テント。
その魅惑的な台詞の山。そして劇中歌、この旋律に痺れた。ピノキオの唄の半音階旋律。これを作曲した安保由夫さん。やがて、80年代後半、新宿の飲み屋のMasterの友達としり、そこでお会いで、タップリ話した。
ビートルズ好きで盛り上がり、ハーデイスナイトのイントロcodeも、同じ押さえ方。その後、安保さんがやってるナジャという店に、1度行った。
今日の新聞に、亡くなったとあり、驚いた。素晴らしい才能、残された曲、そして、横浜赤レンガでの、数年前の唐十郎リサイタルでの、唄の数々。
私の夜空の、貴方は星です。
心から、手を合わせて、御冥福御祈り致します。
ありがとー!、見事な宝石の旋律!
2015/09/21
2015/09/19
ぷんぷんぷん
北の珍味が届きました。ありがとーございます。連休のが始まり、人が遊んでるとき、働くワタクシ。こつこつ、コマ割りをやってます。
深夜2時すぎ、安保戦争法案が、自民党や公明党の数で採決。これで、アメリカが戦争する海外の地、アフリカや中東で、自衛隊が発砲することが出来、武器輸送なんぞしてたら、テロに狙われ、自衛隊員が、殺害したり、殺害されたりする、という光景が、未来に起こる可能性が、出てきた。
当然、日本国は、テロの対照になり、東京テロが起こる危険も始まる。
さて、来年の参議院選挙で、キッチリ、こんな違法な法案通した議員を、落とせるか?。
我々は、愚民のまんま、なのか。すべてを次の世代の子供たちに押し付けて逝くのか?。
2015/09/17
旅するカット
18歳、高校卒業時に、我が家は売り払うことになり、次の家はその段階で未定、つーことで、私の持ち物は東京のapartに行くしかない。
ほとんど処分した。美術クラブで描いた絵も油絵もスケッチブックも、大量の音楽雑誌も。
家を売り払って、無くすことは、一種の津波みたいなもので、その喪失感は、東京のapartで感じたものだ。もし、我が家が残ってたら、私のけっこう変なものが残ってただろう。
仕事部屋の整理してたら、下記のラフスケッチがファイルから出てきた。これは高三の文化祭プログラムの表紙。その下書き。
完成カットもどこかにあるかも。階段の途中で、人が登りながら死んでいる。闇の空に浮かぶのは、月から見た地球。
最終カット、先生が死体を消せとクレーム受けたのを覚えてる。
2015/09/16
2015/09/14
2015/09/11
2015/09/08
三島。講演会。沼津丼。柿田川。
何年ぶりかの講演会。しかも有料。ホワイトボード二台出動して、話す前に書き込み、150人もの御客さん、頑張ってタップリ話しました。
終わってからの質問コーナーも、楽しかった。それから100人くらいにサイン会。さすがに疲れた、満足です。
いろんな頂きもの、ありがとーです。鯵の押し寿司、うまかった!、ウドンありがとー。
三島は海のものがうまい。寿司屋で沼津丼、二日連続で堪能。
そして、念願の柿田川で水泳。ゴーグルと海パン持参、湧き水冷たい。
2015/09/04
聖地、有珠ノ宮・オガリ山さま
起きて宿でて7時、函館マニア推薦の店に行く。烏賊ソーメン1100円とビール、小皿が四つサービス。腸の炒め、うますき。親父ぎ包丁で薄くサッサッ切る。あー、ほんとにソーメンみたいな、不思議な味覚。雲丹つまみ、頼んだらゴソッと来た。塩味、海よ、ありがとー!
このまま、洞爺行き、やめて飲むか、と思ったが頑張って駅に行く。噴火湾沿いに走る。賢治の、挽歌シリーズの旅の最後の詩。それを逆走。海の色が灰色。
洞爺駅、二時間でつく。バスで温泉まで。宿を探す。適当に決めて前金。2002年の洞爺湖温泉近くの噴火。保養センター、団地が土石流でやられた場所、前回見てたが又みる。新山行きのバスまで1時間あるので、タクシー2100円。三度目の昭和新山。や!、煙に勢いありませんぞ。
そして、聖地「三松正夫記念館」いく。カランという音で、三松三朗館長登場。9年ぶりくらい?。こんにちは、と言っても判らない。名のって、驚かれた。へへへ、びっくりさせよーと思ったのです。それから、いろいろ話しました。得意の三朗節という、皮肉たっぷりの言葉をボソッと言う、なかなかの凄み。
「父正夫は町葬、私は鳥葬です」
「死んだら、新山の上に置けば、鳥が片付けます。それが自然です」などと平然というから、どこまで本気かワカランですたい!
しばし外にでて、新山をsketch三点。
三朗さんが指摘するように、山が植物で覆われだし、温度が、下がってるらしい。それが悲しい口調で言われる。
「あの山は正夫の墓」
「正夫は、観光地化する風景が嫌いで、ほとんど来なかった」
商売と、その外側。Olympicの贋マークや建物。それらに通じる、銭まみれ、とは異質の心。
いろいろはなして、4時、ホテルまで送っていただき、ドア開けて降りて、そこでまだ話す。うう、もーっと話すべきです。
「噴火湾って言葉、嫌いです。」
「あれは内浦湾、イギリスの船長が、当時、樽前や駒ヶ岳や有珠が噴煙あげてたので、そう付けた。でも、あの湾そのものが火山カルデラみたいな印象あたえるから、危険なんです。それに、」
「それに、なんですか?」「私、外人、嫌いなんです。湖のザリガニも、セイダカアワダチソウも、みんな外国からきて、強いでしょー」ああ、三松節炸裂!
「昭和新山と有珠山。形似てますね」「苗字が、有珠です」ほんとに似てる。同じ噴火活動するのだろうか?、朝ホテルから洞爺湖の真ん中の中央火山たちを見てたら、手前のがリトル昭和新山だった。
帰宅率
ワインと日本酒飲んで、二日酔い。
さて、どうする?、駅のサテンで時刻表見ながら考える。函館、いってみるか?。チケット買い、土産いただき重たいバッグ、クロネコで送り身軽にして、列車に乗る。
旅情。陸奥湾の山並み、賢治の書いた山並。津軽トンネル抜けて、北海道。あら、雨だ。それも激しい。やがてアナウンス、札幌行きは途中の河川氾濫のため、運休。あらら。函館つくと駅はひとだらけ。払い戻しや、宿探し。これはマズイ。案内には番号札、人の列。うーむ、奥の案内で、リスト渡され自分で電話しなさい、はい、二つ目で宿決まる。外は豪雨。傘送ったカバン。肌寒い。長袖もカバン。うー、これが旅なのだ。
スペイン長期の旅で、経験したのだ。「思い通りにならなくても、切り替える、」
傘買って外出たら、あら、上がった。くぬぬ、切り替える!、宿に行く。昨夜と値段変わらないのにボロい。くぬぬ、切り替える。外に出るが、風が強いぶん、寒い。では五稜郭公園前に電車。
降りて歩くと、タワー!。みんなあれに登るんだろなあ。上から見てこその形だもなあ。しかし、拙者、昇りませんぞお。断固、平面感覚であります。城内しばし歩いて、土方ファンでもない私は、アイス食べて歩くが、風が冷たい。一瞬デパートに入ったが、欲しそうなものもないし、肌寒し程度なので電車で元町方面。お、アイヌ展の博物館。これは行くべし。7時まで。素晴らしいアイヌ模様の着物。ヨダレ出ます。
一枚づつ堪能。撮影OK。模様本二冊パンフ二冊。受付の方、いろいろ資料くれた。タラフク見て、さてあとはどうするか。イギリス領事館でタバコ。公会堂は7時過ぎ。歩いて教会。さあて、みんなが目指すロープウェイ。その坂降りて、倉庫街、そこから歩いてホテル。それから近くの、飲み屋。刺身盛り、ビール、日本酒。連夜の飲酒で胃が弱いのう。それでもコンビニで赤ワイン。
さて、明日は帰るのか?。ふふふ、ここまで来たら、聖地巡礼しなくてはな。「噴火湾」も体験したいし。しかし、やたら便があるわけでもない。朝8時すぎの列車に乗れるか?
青森挽歌の駅
やはり、現場は凄い。大正12年1923年から92年たっても、現場には意味があった。
八戸(尻内)から北上。がらんの野原。まるであの詩だ。やがて森や小山、そして、駅が近づくたびドキドキする。この駅か?。それを繰り返す。二つほど候補がでたが、決定的ではない。
なんにしろ、一辺で決まるほど、簡単ではない。
二時間で青森ついたが、疲れがたまってる。3時前。このまま新幹線で帰るか?。それすら辛い。
とりあえず、宿探して、休みたい。と観光案内で斡旋してもらい、近くの宿。
荷物部屋において、裏の港。あれれ、青森駅と連絡船の港、直結してらあ。
驚いた。賢治の時代も、こんなに近かったのたのなか?。
歩いて、駅のまわりのbillの地下、おー、市場発見。夜のツマミ、いろいろ買い込み、朝あんなに食ったのに、夜も魚づくし。雲丹攻撃、
ホテルにもどり、風呂、それから飲酒、むふふ。明日はどうする?、何?、津軽半島渡るか?。初の函館か?。
旅の目的
八戸四日目、昼エミちゃんは帰還するが、わてはどうしょう?。
この八戸の旅の目的のひとつ、それは賢治の「青森挽歌」、そのなかで歌われた駅はどこなのか?。
尻内から東北本線を青森に向かう、どの駅なのか?。ここまで来た以上、列車に乗って調べよう。つーことで青森行き決定。
朝の楽しみは、市場で、ご飯買って、いろんなツマミ、焼き雲丹600円二個、マグロ刺身。中落ちたたき、イカさし、みんな買ったの交ぜて、食べる。あー、うめー!、八戸最高ー。
それから、幼稚園に行き、新しい企画聞く。なになに。おれも?。
帰って八戸駅。珈琲飲んで、えみちゃん見送り。万歳ーとやりたかったが断られた。
それから珈琲また飲んで、私も青い森線で、各駅の旅。
さあ、いよいよ、賢治調べなり。
八戸、おおクラウデア、
三日目、起きて、デイリー東北の建物でやってた木村友佑展。兄の作った「文学の樹」、なかなかな愛。
近くのサテンで珈琲とサンドイッチ。それから、この旅の目的のひとつ、木村兄作の水のみ場、なぜか建物の裏の駐車場にあったが、迫力満点。なるほど、これは昨夜見た虎舞から来てるのだなあ。あー、凄い。それから友佑くんの運転で、種差海岸。磯で三人うろうろ。芝生でしばらく寝る。
そばの店で、生うに丼を御礼しました。
それから海猫、遊廓旅館、そして木村実家。お母さんニコニコ。やがて兄と弟子登場。
湖の、秘密基地に走る。20キロ?、30キロかな。あー、でかい湖。
そこに製作中のコテージ。なんのいう景色だろう。カヌーに乗る。珈琲飲んで夕陽、言葉がない。たまらん!
八戸、東北6県ロールショー
鉛温泉を堪能して、朝のバスで花巻駅から盛岡、そして初の青森県、八戸。あら、大きな町。
映美ちゃんbandはすてに到着、私は湊まで電車。海辺のもの食おうと市場を歩くが、午後一時で閉まってて、なんとか食堂の前、列が10数名。並ぶの嫌いだが、こんなに並ぶのなら、訳あるな。一時間待って、ヒラメつげ丼、うまい!、
電車でもどり、会場の公会堂。リハーサル中。しばらく見て、魚と酒の店に入り、刺身盛りつけと、秋刀魚刺身、あまりにうまい!、liveぎりぎり走って戻る。
一部は、八戸生まれの小説家・木村友佑と、彼の作品「イサの氾濫」を読んで、bandを結成した白崎映美の対談。
二部、地元の芸能、墓舞。何だ、舞台にお墓、その前で獅子舞が寝てる。古い唄で踊り出すが、なんだか死者が憑依してるような不思議な悲しさ。次の虎舞。
これが気に入った。虎の獅子舞、中に二人入り、途中で前の人を肩車して立ち上がるとこ、かっこえー!
虎を起こす子供たちの棒こすり、もかわいい。そして映美ちゃんband。客席の多くの老人たちが、しっかりノッテたぞ。
この企画のボス、豪快なる造形家・木村勝一が作った化け物。かっこいー!
そして、えみちゃんに呼ばれて、出てきた木村勝一、嬉しくて涙、するとすかさず。「泣いてるときじゃねー」の映美ちゃんのツッコミ、最高の場面でした。
大団円です。器材片付け終わり、打ち上げの店。虎舞の代表と話す。八戸市長と話す。シャツの背にヒデヨシ描いた。ここはお仕舞いの一時、
刺身が、たくさん残る。海の町だなあ。
もったいない!とムサボリ食う。
次の宿屋で、三味線の岡田さんとタラフク話す。それから部屋飲み。朝五時近くダウン。
八戸二日目
朝宿屋で起きたら、bandメンバーすでに三々五々帰ってた。飯食って、居残りは映美ちゃんと俺。木村兄弟と弟子と、念願のツリーハウス。木村「兄」勝一は、元ボクサーで役者や劇団やり、家でもオブジェでも、ガスバーナー振り回して作っちゃう。そのバイタリティーは呆れる。話し続けて喉が枯れます。
43号沿いの店。その裏にある森の中に、沢山のツリーハウスがあった。
おー、すごい。ここが私の宿。茶室のある奴や、空中に繭みたなのや、なにより、空中露天風呂があるのだ!、
なんだか、異星人か、縄文人か、その創作力に暫し、脳がゆさぶられる。
ハウスで休んでると、友佑くんがアイス珈琲運んでくれた。あー、しあわせー。
布団敷いてもらい、寝てる。そしたら、知らないお客の声。「わー素敵」と女の人が私のハウスに上ってきた。あー知らない、寝てるのに。驚くだろーな。ドアが開いて、絶句、バタンと閉まった。わはは。
夜は、町で、打ち上げ。いろいろ、海の幸食べる。市長が連夜の出馬。市長はシャンシャン台風の追っかけ、やってたらしい。さんざん飲んで、ツリーハウスの店に戻る途中、念のため、どん兵衛を買う。店に戻り、また飲酒。ピアノでライカローリングストーン、あれ、市長まだ飲んでる。2時すぎ、いよいよハウスで寝るとおもったら、四人でコタツ。
そして、映美ちゃんが、お湯もないのに。かってにカップ麺開けて、「食え」。