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2015/12/30

村上の鮭

18日玄関に干してた鮭、いよいよ解体しました。なかなか、硬くて、力仕事で汗が出た。少し焼いてみてら、まー、濃い!、うめーぞう!

2015/12/27

訂正します。

ど偉い出来のステンドグラス、来年の大公開は、七月だそうです。夏には逢えますよー!

2015/12/24

やったね!

武蔵野工房に、最終チェックに行った。完全な、完璧な、ワタクシ満足の偉い作品に成りました。
私の線、形、これを他人が作るとなると、その人の形が、出てしまうのが創作というものですが、そこを押さえて、私の線を再現した武蔵野工房の技術に、感動します。
ほんとうに、満足できる作品が産まれました。来年7月、新設される米沢市立図書館、児童室に、二点設置されます。
米沢に旅したら、是非、お越しください。

2015/12/22

微熱少年

私が初めてやった書籍の仕事、イラストたっぷりの、松本隆さんのエッセイが、復刻される。
あまりに、想い出深い本だ。
発売は一月二十日です。
宜しくですぞ。

http://rittorsha.jp/bunko/15317431.html

2015/12/21

優勝イムノとリーベル殉教

バルサは強かった。欧州対南米の格差は起こってる。良い選手はみんな欧州に流れ、アルゼンチンとブラジルとウルグアイの一番のストライカーがそろったバルサは、しっかり勝った。
爆音で流れる応援歌イムノを、私も歌いながら、西馬音内盆踊りの、音頭を踊った。
それにしても、南米から大量に来たリーベルのサポーターは熱かった。もしバルサじゃなかったら、断固彼らを応援してた。
暴れたり、万引きしたり、椅子や壁壊したり、それは問題外だが、家族で応援している彼らこそ、殉教者なんだなあ。

2015/12/20

いけいけバルサ

決戦戦の朝です。
欧州対南米、いつも、南米を応援する私でも、バルサとなれば、南米派にはなれません。
横浜で二度目の世界一に、成りましょうぞ。

朝、群馬から、柚子と野菜いただきました。おしょーしなっし!、優勝して柚子湯さ、入るぞー。

2015/12/17

(祝)再版

カイロ団長、再版です。版を重ねるということは、誰かが又、あの作品を読む未来があるわけで、なかなか嬉しいもんです。

松本隆著、微熱少年、も来年、復刻版が発売されます。
私が、一番最初に、装丁絵や挿絵描いた想い出の本です。

2015/12/14

ステンドグラス

第二作「ヒデヨシ太陽」途中経過を見学。なんとも見事な技術、素晴らしい出来です。
武蔵野工房、美技感謝します。

2015/12/13

塩鮭&庭作り

村上で、塩鮭作り道場でやった鮭が、やっと届いたので、塩抜きして、吊るした。
昨日、新しい庭に最初の一本、雪柳を移植したが、本日、葉ものなど四本移動。
いよいよ、始まりです。

昨夜は、八王子展覧会のための、巨大な図録のなかの文章、推敲、本日送る。

賢治関係の文章も推敲中、

明日はバルサ日本上陸。成田に近いとこ住んでたら、迎えに行く気分。

2015/12/11

ジョンの命日

アメリカ東部時間、8日午後11時前、ジョンはキチガイに、四発背中から撃たれ、ほんとんど即死。
その時刻は、日本では9日午後1時。
悲しい夜は、9日の夜。
今年も、ゴロstudioで、五人で飲んで語って、それから爆音で流れるジョンの唄に、ベース、エレキ、ドラムでマイクで歌いました。

神は、彼に40年の命しかくれなかったが、あのキチガイさえいなければ、まだ名曲が産まれたのは、間違いない。

グロウ・オールド・ウズ・ミー、
ダコタハウスで、ショーンの声もする、自宅録音。その、とてつもない幸せな声。涙がわきます。

2015/12/05

師走です。宣伝です

来年のアタゴオル・カレンダー
風呂猫マーケットで通販してます。
ヨロシクです。
雲から、どーんと御柱で疾走。

2015/12/03

塩鮭一本勝負

村上の塩鮭道場で、風呂猫団と、鮭一本格闘。なかなか手強い奴。夢中になった。

命日

11・30は、ジョージの命日。ジョンの時もそうだが、時差があって、記録にはアメリカ時間の日付になるから、そのときの悲しみ体験してない人や、忘れた人は、前日を命日にしてしまう。
ジョージは、日本時間で30日の朝方、癌でカリホルニアで亡くなった。その死が伝わったのは、新聞では翌日だった。
そんなことを思ってると、
水木さん、が亡くなった。
あの元気では100歳まで生きるな、と思ってたのに、感慨深い。
私は40年前、水木さんがアシスタント募集してると、青林堂の長井さんから言われ、ますむらくんなら、推薦するからテスト受けなさい、となり、もちろん大好きな作家だったから、しかも、あの恐ろしい書き込みを、やらせてもらえるなら、とテストを受けた。
洋書の画像、それを模写する、ものだった。何日かかけて描いて、調布の自宅にうかがい、渡すと、合格になった。
ところが、住み込み、が条件だった。私は野田に住んでいて、しかも野田の連中と騒いでるのが楽しかったので、住み込みする根性は無かった。通いにしてほしい、と粘ったが無理。
というわけで、合格はしたが、無理だった。
実は、水木さんは見抜いてたと思う。コイツは、入れても、何年も勤めるような奴ではないことを。
そんな訳で、アシスタントにはなれなかったが、大好きな作家であり、そのスケールの化物ぶりなど、今となっては、半年くらいは、体験すればよかったかな?、とも思う。
ほんとうに、どえらい作家だったし、膨大な名作を産んだ。私は河童の三平が、特に好きです。
先生という言葉は、この方のためにある。

水木先生、あの世で、また描いてください。合掌します。