メールアドレス : masumurahiroshi1952@gmail.com
2013/10/31
感情移入
白象が酷く扱われる場面、そして嘆きのなかで泣く場面。そうした箇所を描くのは苦しい。象に入り込まなくてはならないからだ。ジョバンニは苦しかったし、かま猫も苦しかった。そして今回の苦しさは、やはりすでに書いたように、奇妙な距離によって薄さを持っている。賢治は白象に対し、かま猫のときのような感情移入をしていない。オツベルと象は 賢治が持っている「ニヒル」さが出ている。
2013/10/30
北斎の破壊力
ホームページの背景になっている北斎の「東海道・保土ヶ谷」。松原並木の東海道。だがこの絵が富嶽三十六景シリーズ中で、名画的扱いにされていないのは、松原並木に徹していないからだ、と私は思う。
画面右側の急速に盛り上がる山道。これが無ければ、実に落ち着いた「平穏ただよう のどかさ」の名場面になっていた。しかし、そんなところで収まらないのが北斎。意図的に松原の縁を切ってしまう。これこそ、北斎の破壊力なり。
登場猫物の配役 中央の馬子ヒデヨシ。着物はバルサ着色。馬上の股旅からあげ丸。籠の女形カツラ君 重すぎます。
画面右側の急速に盛り上がる山道。これが無ければ、実に落ち着いた「平穏ただよう のどかさ」の名場面になっていた。しかし、そんなところで収まらないのが北斎。意図的に松原の縁を切ってしまう。これこそ、北斎の破壊力なり。
登場猫物の配役 中央の馬子ヒデヨシ。着物はバルサ着色。馬上の股旅からあげ丸。籠の女形カツラ君 重すぎます。
搬入・搬出
谷中・原画展まで一週間。ということで風呂猫団が原画の受け取り搬入に来ました。横着な私は重いギターも搬入してもらいました。日暮里の駅から重いギターを持って霊園の中歩くのも風物誌でありましたが、今年は楽だわー。十一月の十日間、猫町ギャラリーで見てちょーだい。
2013/10/28
46年
中学校の同級会。46年ぶりに会う人もいる。なんと長い歳月がたったのだろう。ガヤガヤと懐かしい記憶を肴に飲む酒は楽しい。そして気づいたのは 男子は長き労働でヨレヨレに疲れた風で 女子は実に元気であった。
2013/10/26
うどん
サワガニはうどんが好きです。うどんを一㎝くらいに切って、近くに置くとサササと寄ってきてハサミでつまんで巣に運び、抱え込んで食べます。大人組はチラチラと夜になると出てくるが、子供組の水槽は、ほとんど姿見せません。大人組の水槽に、右側の脚が三本無しの男がいるのだが、奴は乱暴ものでアチコチで喧嘩し、さきほどなんぞは、近づいた私に向かい、両手のハサミを広げて、威嚇してくるのだ。「やるか、こら」とででも言ってるのだろうが、こちらも、マネして威嚇のポーズとり、コミニケーションしてます。
2013/10/24
濡れた栄光が郷愁となる午後
スペインの詩人の詩を原文から直訳したものを 家人が意味がつながる言葉にしようと奮闘しているのを手伝う。だが 詩であり、その単語の意味を並べてみただけで、皆目見当がつかない。
「濡れた栄光が、真新しい午後 郷愁を誘う。」、はて、どういうことなんだ と二時間ほど話しているうち、パラリと答えが現れた。その瞬間、ほかのフレーズも色を現し 作者の心象すら見えてきた。似ているなあ、賢治の謎が解けるときと。
あちこちにヒビが入り ある日ストンと割れる感じ。・・・・・・ぐろうりあ・もはど
「濡れた栄光が、真新しい午後 郷愁を誘う。」、はて、どういうことなんだ と二時間ほど話しているうち、パラリと答えが現れた。その瞬間、ほかのフレーズも色を現し 作者の心象すら見えてきた。似ているなあ、賢治の謎が解けるときと。
あちこちにヒビが入り ある日ストンと割れる感じ。・・・・・・ぐろうりあ・もはど
2013/10/23
ネズミ札乱舞
中学三年のとき発売された「さーじゃんとぺぱー」にあるポールの「私が六十四歳になった時」。あれを聞いて 途方もなく遠い話と思っていたが、あれまあ、足音が響いてきた。だが今日 胸に流れたのはディランの「ほ・えば・やんぐ」。うーむ、歳とともに響く歌詞ですなあ。
2013/10/21
賢治がくれた謎謎
いつものことながら、賢治作品を描くと、参ってしまう。謎ダラケなのだ。現在格闘中の「オツベルと象」だって、まったく「たいしたもんだ」。
オツベルという名前。大正時代は、小さい「つ」も大きく表記してたらしく、実際のとこ、賢治が「オッベル」と呼んだのか、「オツベル」なのかも不明。ここで口にして読んでみると、どっちがシックリくるか?。
次に当然、このオッベルあるいはオツベルなる人物の、名前に込めた賢治の「心象スケッチ」はどんなものなか。そんなこと考えながら、分厚い語彙辞典みると、手がかりも考察もあまりに薄い。さっぱり「ワカンナイノヨ」と陽水の声がする。
さて、問題はオツベル邸の姿だ。これなんぞ、どげな形なのか?。この屋敷を描くには 舞台がインドなのかタイなのかカンボジアなのか?という謎も提起する。ところが賢治は 屋敷の姿をどうも彼の脳内に映しているから、参ってしまう。その手がかりとは何か?。ふえふえ。
さあ、原文を読んで 探してみよう。
オツベルという名前。大正時代は、小さい「つ」も大きく表記してたらしく、実際のとこ、賢治が「オッベル」と呼んだのか、「オツベル」なのかも不明。ここで口にして読んでみると、どっちがシックリくるか?。
次に当然、このオッベルあるいはオツベルなる人物の、名前に込めた賢治の「心象スケッチ」はどんなものなか。そんなこと考えながら、分厚い語彙辞典みると、手がかりも考察もあまりに薄い。さっぱり「ワカンナイノヨ」と陽水の声がする。
さて、問題はオツベル邸の姿だ。これなんぞ、どげな形なのか?。この屋敷を描くには 舞台がインドなのかタイなのかカンボジアなのか?という謎も提起する。ところが賢治は 屋敷の姿をどうも彼の脳内に映しているから、参ってしまう。その手がかりとは何か?。ふえふえ。
さあ、原文を読んで 探してみよう。
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