やはり、現場は凄い。大正12年1923年から92年たっても、現場には意味があった。
八戸(尻内)から北上。がらんの野原。まるであの詩だ。やがて森や小山、そして、駅が近づくたびドキドキする。この駅か?。それを繰り返す。二つほど候補がでたが、決定的ではない。
なんにしろ、一辺で決まるほど、簡単ではない。
二時間で青森ついたが、疲れがたまってる。3時前。このまま新幹線で帰るか?。それすら辛い。
とりあえず、宿探して、休みたい。と観光案内で斡旋してもらい、近くの宿。
荷物部屋において、裏の港。あれれ、青森駅と連絡船の港、直結してらあ。
驚いた。賢治の時代も、こんなに近かったのたのなか?。
歩いて、駅のまわりのbillの地下、おー、市場発見。夜のツマミ、いろいろ買い込み、朝あんなに食ったのに、夜も魚づくし。雲丹攻撃、
ホテルにもどり、風呂、それから飲酒、むふふ。明日はどうする?、何?、津軽半島渡るか?。初の函館か?。
メールアドレス : masumurahiroshi1952@gmail.com
2015/09/04
青森挽歌の駅
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