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2014/05/25

命日・せぐんど・&博物館の旅

岡田光夫は、野田の春と秋に、約二十年に渡って行われていた「花まつり」「月まつり」の発案者。関西で行われている「春一番」を見て、野田でもやりたいと、劇団はぐるまのテントを会場にして始めたもので、第一回の花まつりの半月前に野田に引っ越したのだった。その秋にはマッドブルースバンドが登場。野田のロック小僧たちが出場するようになり、若き日のマントや典生少年が出入りして、やがて松戸の「ウシャコダ」の前身も登場。こうして野田の春と秋をさわがしくする土着的な音楽のテント祭りは続いたのでした。

きょうの命日、「鉄人とハーモニカ」というみつちゃんへの歌を作ったチャオは、子供の運動会なので欠席、ここはひとつ、俳人の川津くんを誘い、庭の薔薇とカルミアやさまざまな花を持って、お墓に行きました。
それにしても何が羨ましいと言って、こんな見事な墓は無い。まわりは広々としたキャベツ畑。そこにミッチャンちの一族の墓たちがあるだけ。なんんとものどかな寝床ではないか。
ここなら、ハーモニカ吹いてもいいもんね、と私がハーモニカ吹いて、川津くんが歌って、岡田光夫作詞作曲の「夏の昼下がり」を歌いました。それから、墓場でしばらく話し込み、志ん生師匠の郭話などで盛り上がりました。実にいい天気。あっぱれな命日なり。

墓参りの後、川津くんに珈琲飲もうと提案したら、いーとこあるよ、と利根川越えて岩井のサテンに行きました。そこで思い出話してたら、川津が
「みちゃんと中国旅行したとき、みっちゃんはハーモニカをポシェットに持参してて、列車の中で、外人客がいっぱいいたら、急にハーモニカ吹きだしたんだよ。アメリカの曲だから、外人に受けて 列車内は合唱の繰り返し、そのうちシャイな日本人客も日本の唄歌ったりしたんだよ」
ふむふむ、確かに、あの男は妙な度胸がアリマシタ。柏駅での路上ライブのときも、みんなビビッテるのに 歌う気満々で歌いだしたしなあ。...
延々話して帰ろうとしたら、川津くんが「博物館行ったことあるか?」「ないよ」「じゃ、行こうよ」と、初めて行きました。
在るのは知ってたが、こんなに立派な博物館だとは、知らなかった。
鉱物好きな私としては、さまざまな形の鉱物室だけでも、感動もの。そして水族館コーナーでは、「やまめ」の大群見て、参った。
なにしろ、もう描いてしまったが、賢治の「やまなし」のなかで登場するのがこの魚。これを描くために、どれほどネットで画像探してみたことか。こんな近くに、こんな楽しい場所があるとは、これも墓参りが連れて行った縁です。みなさま、退屈なときは、友達誘って 墓参りしましょー。

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